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八島
[ヤシマ]

ジャンル 地唄・箏曲
その他
作曲者 藤尾勾当
調弦 三絃: 三下り
  つりのいとまもなみのうへ、霞み渡りて沖行くや、
  海士あま小舟をぶねのほのぼのと、見えてぞ残る夕暮に、

  [合の手]

  浦風さへも長閑のどかにて、しかも今宵こよひは照りもせず、
  曇りもやらぬ春の夜の、朧月夜にしくものはなし。

  [合の手]

  西行法師のなげけとて、

  [合の手]

  月やは物を思はする。闇は忍ぶによかよか。

  [合の手]

  うななぜ出たぞ、そ曇れ。

  [合の手]

  又修羅道しゆらだうときの声、矢叫びの音震動して、

  [合の手]

  今日の修羅のかたきそ。なに能登守範経のとのかみのりつねとや。
  あら、ものものしや手なみは知りぬ。

  [合の手]

  思ひぞ出づる檀の浦の、その船軍ふないくさ今は早や。
  閻浮えんぶ

  [合の手]

  帰へる生死いきしに海山うみやま

  [合の手]

  一同に震動して、

  [合の手]

  船よりはときの声、くがには浪のたて
  月にしらむはつるぎの光、うしほうつるはかぶとの星の影。
  水や空、空、行くもまた雲の波の、
  打ち合ひ刺しちがふる船軍ふないくさのかけひき。
  浮き沈むとせし程に、又、春の夜の波より明けて、
  かたきと見えしはれゐる鴎、ときの声と聞えしは、
  浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松たかまつの、
  朝嵐とぞなりにける。
訳詞 垂らす釣り糸の暇もなく波の上は霞渡った沖を行くと、漁夫の小舟の帆がほのぼのと見え、残る夕暮に浦風までも長閑である。
しかも今宵は照りもせず、さればといって曇りもしない、春の夜の朧月の風情にこしたものはない。
西行法師が歌に嘆けと言って人に物思いをさせようとするか、しないが、月にかこつけて物思いをさせる。
闇は人目を忍ぶのに都合がよい。
南風が吹いてきたから、さあ、来なさい、そして空よ雲れよ、修羅道の閧の声、矢叫びの音が震動して、今日の冥途の敵は誰であるか。
なに能登守範経であるか、あらいかめしいことよ。
腕前は知っている。
思い出すのは檀の浦での船軍である。
今は人間世界にと帰り来る生死の海山である。
一同に震動して、船からは閧の声、陸にあっては浪の楯、月に白く光るのは剣の光である。
潮に映ずるは兜の星の光。
水と空とは一つになって、空を行くも雲の波、打ち合い刺し違う船軍のかけひき。
浮き沈みしているうちに、春の夜は波から明けて明るくなれば、今まで敵と見えたのは群れ飛ぶ鴎であり、閧の声と聞えたのは高松の浦風であった。
高松の浦風が朝嵐となって吹くのであった。
補足 三下り謡物。
『歌系図』(1782年)に曲名が初出。
京都で木の本巴遊が弾きはやらせたという。
謡曲『八島』の詞章を適宜省略・補綴。
途中に謡曲とは無関係の世話にくだけるクドキ風の部分を挿入。
箏の手は地域・流派によって様々で、名古屋では吉沢検校、京都では八重崎検校ほかの手が知られる。大阪では菊原琴治の手などもある。
途中の一節は『西行法師は』と題して、下座にも取り入れられる。
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