ジャンル |
地唄・箏曲 山田流 |
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作曲者 | 山田検校 |
作詞 | 不詳 |
調弦 |
箏:雲井調子 三絃:三下り |
唄 |
一千年の色は雪のうちに、深き願ひもけふこそは、 はるばる来ぬる旅衣、日も麗に四方の空、 かすみにけりなきのふまで、波間に見えし淡路島、 あをきが原もおもひやる、実に広前のすがすがし、 かたそぎの、ゆきあひの霜のいくかへり、 契やむすぶ住よしの、松の思はむことのはを、 わが身に恥づる敷島の、道をまもりの神なれば、 四季の詠めのそのうへに、恋は殊さら難題がちに、 読めたやうでも、よみおほされず、てには違ひに、 心を尽し、高いも、低いも、あゆみをはこぶ、 なかおしてるや、難波女の、よしあしとなくかりそめに、 うたふひとふし優なる、忘貝との名はそらごとよ、 逢うて別れて其後は、又の花見を楽しみに、 日数かぞへて思ひ出す、わすれ草との名は偽りよ、 茂りてかれてそれからは、後の月見を楽しみに、 夜半をつみつつおもひだす、春や秋、 往昔世に光る君、御願はたしの粧の、 今に絶えせずおくは猶、深みどりなる其中に、 花や紅葉をひと時に、こき散したる賑ひは、 筆もことばも及びなき、折しも月の出汐に、 つれて吹き来る松風の、つれて吹き来るかぜの、 かよふは琴のねがひも三つや、四つのやしろの御めぐみ、 猶いく千代も限りなき、道の栄と祝しけり、 道の栄と祝しけり。 |
訳詞 |
一千年の変らない色は雪のあるうちでも青々としており、深く願ったことも今日こそははるばるやって着て来た旅衣である。 衣の紐ではないが、春日もうららかで四方の空には霞がかかり、昨日まで波間に見えた淡路島も今日はかすんでいる。 この住吉神社の斉神の出現なさった筑紫の檍が原が思い出される。 本当に社殿の前は爽やかである。 社殿の屋根の千木の交叉に置いた霜は松と共に何年も変らない契りを結んだ。 住吉の相生の松の思う和歌を思うとわが身の拙い歌が恥しくなる。 この神は和歌の道の守護神であるから。 四季の歌からはじめて、その上に恋の歌となるが、恋のは殊更難題が多く、上手に詠めたようで、充分には詠みきれなく、「てにをは」文法違いに心を悩ます。 高い身分の者も低い身分の者もこの神社に参詣する。 難波女の葦や芦の一節のような一つの節まわしもみやびである。 古歌に住吉といえば、忘貝や忘草をよまれるが、恋には忘れようと忘れ貝をひろっても無駄で嘘である。 逢って別れて、その後又の花見を楽しみに日数数えて逢うことを思い出すことになり、忘草という名は偽りであるよ。 春から夏にかけて茂り、秋になって枯れて、それから後は月見を楽しみに夜半を幾夜か重ねてあったときを思い出すのが世のならいである。 その昔、光源氏は願が成就した礼参りに参詣した時の粧を今に絶やさず、境内は深緑の中に花や紅葉を一時に散らしたような賑やかさは、筆にも言葉にも表せないほどである。 折から月が昇って、松風のなる音は琴の音に通い、祈願も三社、四社に通じて、それらの神々の恵みは幾千代とも限りなく、和歌の道の栄であるとお祝い申すのである。 |
補足 | 山田流箏曲。中歌曲。流祖作歌中七曲の一つ。参詣道行物。祝儀物。 和歌の神様とされる住吉大社への参詣を主題とし、光源氏の故事や月の出の叙景、松風の描写を配して、最後は住吉の御利益と箏曲の発展を祝って結ぶ。 途中に御田植神事に歌い囃す難波女の踊歌の『忘れ草』『忘れ貝』を挿入。 『忘れ草』は『忘れ貝』の「返し」で、それぞれの前の合の手は『京鹿子娘道成寺』の踊地にもある手。 「忘れ貝相方」として歌舞伎の下座にも用いられる。 最後のやや長い合の手に『六段の調』の初段を合せる。 当初からかなり流行したものらしく、式亭三馬の『浮世風呂』や為永春水の『春色辰巳園』にも引かれる。 |