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浮舟話
[ウキフネバナシ]

ジャンル 地唄・箏曲
手事物
作曲者 松島勾当
作詞 不詳
調弦 三絃: 三下り
  愚僧が住家は京の辰巳の世を宇治山と、
  人はいふなり、ちやちやくちや茶園で、
  話す濃茶の縁の橋姫、夕べの口説の袖の移り香。
  花橘の小島が崎より、逸散走りに戻って見たれば、
  内のお嬶が悋気の角文字、牛も涎を流るる川瀬に、
  口説ば、落ち合ひ、我から焦るる、蛍を集めて、
  手管の学問。唐も大和も、里の恋路は、
  山吹流しの水に、照り添ふ、朝日の御山は、
  誰でも彼でも、二世の契は、平等院とはさりとは、
  うるさいこった。ホホイ
訳詞 喜撰法師の住家は京都の東南の宇治山に平穏に暮らしているが世間の人は憂い山、宇治山というのである。この宇治は茶園で、話す濃茶の縁の端なる橋姫は夕べの言い争いで袖の移り香に花橘の香がする。花橘の名所の小島が崎から一目散に走って戻ってみれば、内のお嬶はやきもちやいて牛の角文字をはやして恋しがり、牛も涎を流す川瀬に言い争えば心が落ち合う。自分から恋焦がれて、燃やして光る蛍を集めて学問をしたように恋の駆け引きの学問をする。中国も日本も廓の恋路は黄金の水を流して輝かし、輝く朝日山は誰でも彼でも、夫婦約束は皆誰彼区別なく平等院の平等というのは、うるさいことだ。
補足 三下り手事物。
喜撰法師の和歌を冒頭において「源氏物語」の浮舟の話を尻の軽い茶摘女にもじって読み込んだ内容。随所に俗語調の言葉を盛り込む。
かつて京都では浦崎検校作曲の箏の手付けが行なわれた。
清元節の『喜撰』の一部にほぼ同一の詞章が用いられる。
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