古典曲検索

関寺小町
[セキデラコマチ]

ジャンル 地唄・箏曲
その他
作曲者 岸野次郎三 箏手付け:不詳
作詞 不詳
調弦 三絃:本調子-三下り
箏:平調子
  思ひ出づればなつかしや、人の恨みの積り来て、
  いつの頃より浮れ出で、頼む物には竹の杖、
  泣いつ笑ひつ物狂ひと、人は仇し夢なれや。

  問ふは恨し昔は小町こまち、今は姿も恥しや。

  誰はめねど関寺の、いほり淋しき折り折りは、
  都の町にうかれ出でて、往来ゆききの袖にすがりつつ、
  憂きことの数々を見給へや人々。

  春は木末こずゑの花にのみ、心を寄せて短夜みじかよの、
  ほととぎす雪見草。浅沢あさざは燕子花かきつばた

  菖蒲藻あやめもの葉も枯れ枯れに、蛍も薄く、
  残るあしたの、名も広沢の月影つきかげ

  かこち顔なる我が涙。

  落葉、時雨に濡れ初めて、我ながらはづかし。

  百夜ももよ忍ぶの通ひ路は、雨の降る夜も降らぬ夜も、
  まして雪霜ゆきしもいとひなく。

  心尽しに身をくだく、一夜ひとよを待たで死したりし、
  深草ふかくさの少将の、其怨念をんねんの付き添ひて、
  斯様かやうに物を思ふぞや。

  彼方かなたへ走り、こなたへ走り。

  ざらり、ざらり、ざらざらざつと、恋ひ得ぬ時は。

  悪心又狂乱の心付きて声かはり、しからず見ゆれば、
  すごすごと関寺のいほりに帰る有様は、
  山田のあぜ案山子かがしよの、呆果あきれはてたりやわが姿。
訳詞 昔の栄華を思い出せば、すげなくした人の恨みが積って来て、いつの頃からか浮れ出て、頼りにするものとしては竹の杖、泣いたり笑ったりする狂人といわれるようになって、人は仇し野の夢のように無情なものである。
問う人は誰であろう、それは昔、小野小町といってもてはやされた人、今は恥しい程みすぼらしい姿になってしまった。
誰も泊めないが関寺の庵でのわび住まい。
淋しい時は京都の町に浮れ出て、往来の人の袖にすがりつき、憂き世の辛さの数々をごらんなさいと訴える。
春は梢の桜花にばかり心を寄せ、夏は短夜のほととぎすを聞きに、見に行く雪見草の卯の花、浅沢のかきつばた、はてはあやめ藻の葉の枯れる頃ともなれば、数がまばらになる蛍の光、秋になれば広沢の月の光は澄んで、月にかこつけがましく流れる涙。
落葉は時雨に濡れ始めて、自分ながら恥しく思う恋心。
深草の少将が小町に心惹かれて、百夜通った夜道は、雨が降ろうが降るまいが、雪や霜までも障りなく通い。
心を尽し身を砕き、百夜に一夜足りない九十九夜で死んでしまった深草の少将の怨念が付きまとい、今も斯様な物思いになやむのである。
彼方へ走り、此方へ走り、ざらりざらりよろけて歩き。
恋をして思いにまかせない時は悪心や狂乱の心がついて、声が変り、気が狂うようになるので、すごすごと関寺の庵に萎れて帰る有様は、まるで山田の案山子のようになり、我ながら呆れ果てた姿になるのであるよ。
補足 本調子長歌。謡物。
謡曲『関寺小町』の内容を踏まえて、深草少将の怨念のために物狂いとなるさまを中心に、落剥した小野小町の姿を歌う。
詞章的にはむしろ謡曲の『卒塔婆小町』・『鸚鵡小町』・『芦刈』などに拠る部分がある。
津山検校制定の長歌40番のうちの番外第5曲目。
義太夫節の『花競四季寿』の中の『関寺小町』はこの曲に基づくものという。
一覧に戻る