ジャンル |
地唄・箏曲 その他 |
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作曲者 | 二世杵屋長五郎・芳沢金七 改調:杵屋六次郎 |
調弦 |
箏:平調子 三絃:二上り |
唄 |
花の外には、松ばかり。暮れ初めて鐘や、響くらん。 暮れ初めて鐘や響くらん。 鐘に恨みがかずかず御座る。 先づ初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり。 後夜の鐘を撞くときは是生、滅法と響くなり。 晨鐘の響きは。生滅、滅已入相は、 寂滅為楽と響けども、我は五障の雲はれて、 真如の月を眺め明さん。 道成卿は承り。初めて伽藍立花の。 道成興行の寺なればとて、道成寺とは、 名づけたり。 山寺の春の夕暮来て見れば、入相の鐘に花や散るらん。 入合の鐘に花や散るらん。 去るほどに、去るほどに、寺々の鐘。 月落ち烏啼いて霜雪天に満汐、程無く日高の寺々の。 江村の漁火も愁ひに対して、人々眠れば、よき隙ぞとて、 立ち舞ふ様にて覘ひよつて、撞んとせしが、 思へば此の鐘怨めしやとて、 竜頭に手をかけ飛ぶよと見えしが、引き担いてぞ失せにける。 |
訳詞 |
花の外に見えるものは松ばかりである。 暮れ始めると、寺の鐘の響きが聞えてくるであろう。 鐘の響きにはいろいろの恨みがこもっている。 まずインドの祇園精舎の寺の四隅の鐘の初夜の響きを聞くときは諸行無常と聞こえ、後夜の鐘を撞くときは是生滅法と響くのであり、あかつきの鐘の響きは生滅滅已と響き、入相の鐘は寂滅為楽と響くのである。 しかし、自分は女性の五障の暗い雲のような迷いが晴れて、真如の月が明るく照って悟りを得た。 道成卿は勅命を受け、初めて寺の伽藍を建てた。 道成卿が興した寺であるから道成寺という名がつけられた。 山寺の春の夕暮に来て見れば、夕暮の鐘に花が散るほど真っ盛りである。 かれこれするうちに、四方の寺の鐘は撞かれ、月が西に落ちて鳥が鳴き、霜や雪が天にいっぱいはらんで寒く、やがて日高の寺々の江畔の村の漁火も淋しく点滅してみえる。 人々は眠ったので、これは良いときであるとして、立ち舞うようにして鐘を狙って撞こうとしたが、思えばこの鐘怨めしいといって、竜頭に手をかけ飛び立つ様に見えたが、引き被いて、その場に消えうせてしまった。 |
補足 |
二上り芝居歌。謡物。 『新大成糸のしらべ』に詞章が初出。 謡曲『道成寺』を原拠とし、一部謡曲『三井寺』の詞章を含む。 長唄の『京鹿子娘道成寺』と一部共通する箇所もあるが、先後関係は明確でない。 ~道成寺関係~ 時代によって各種ある。 1.三下り芝居歌。謡物。 岸野次郎三作曲。作詞者不詳。 『語り道成寺』・『鐘捲き道成寺』・『古道成寺』・『三下り道成寺』などとも。 謡曲『道成寺』の後段のワキの語りを原拠とする。 途中にくだけた歌詞が挿入され、描写的な間奏を含む。 正徳・享保期の成立という『古今端歌大全』に詞章初出。 箏の手付けも地域・派によって異なり、京都では八重崎検校、大阪では市浦検校作曲と伝えられるが、様々な手がある。 2.1に対してその後に作曲されたもので『新道成寺』と称する曲が3種あり、まず前出『古今端歌大全』に『道成寺鐘の段』として詞章が収録される二上り端唄あるいは芝居歌の「花の外には松ばかり」と歌い出し「鐘に向かって怒りける」と結ぶものと、「琴線和歌の糸」以降に詞章が収録される三下り端唄で、「さりとても恋は曲者」と歌い出し「霞に紛れて失せにける」と結ぶものとがあったが、現行しない。 現行するものは「花の外には松ばかり」で歌い出し、「引きかづいてぞ失せにける」と結ぶ二上り芝居歌あるいは歌い物として扱われる曲。 なお、このほか地歌で道成寺を扱ったものには、『娘道成寺』や『新娘道成寺』がある。 |