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道中双六
[ドウチュウスゴロク]

ジャンル 地唄・箏曲
端唄物
作曲者 勢州某 津山検校改調
調弦 三絃: 三下り
  筆の鞘たいて待つ夜の蚊遣り。

  [合の手]

  香のすがりは簪の、算木も捨てて車座に、

  [合の手]

  めぐり初める双六は、五十三次手の内に、
  投げ出す賽の目くばしに。

  [合の手]

  壁にまじまじ大津絵の、振り出す遣手先払ひ、
  座敷踊りの中入に。

  [合の手]

  仲居が運ぶ重箱は、姥が餅かと口々に。

  [合の手]

  阪は照る照る鈴鹿の茶屋に、
  花をひともと忘れて来たが、後でや後で咲くやら、
  それ開くやら、よいやな、ああよいの土山雨と見て、
  曇る日ざしを迎ひ駕。

  [合の手]

  人目の関に門立ちの、赤前垂の夕でりに、
  おちやれ岡崎の手をひいて、おつと泊りの宿とれば、
  眠ぶる禿の浪枕。

  [合の手]

  七里も乗らぬ曳船に、綱手かなしむ憂きおもひ。

  [合の手]

  ひと間に籠る琴の音の岡崎、岡崎女郎衆かはい女郎衆、
  ひと夜妻から吾妻路に。

  [合の手]

  夜もあか坂のきぬぎぬに。

  [合の手]

  かざす扇の裏道を。

  [合の手]

  見附越すほど恐しき、音にきこえし大井川、
  岸の柳の寝乱れて、ここは島田の逗留かいなさればいな。

  [合の手]

  つもるなさけの雪の日は、不二に雲助ぶらぶらと。

  [合の手]

  格子の外のころび寝に、夢には三島。

  [合の手]

  箱根山、上り下りの恋の坂。

  [合の手]

  飛脚の文の神奈川や、御ぞんじよりの土産には、
  江戸紫のへ。
訳詞 筆の鞘をやいて訪れる人を待つ夜の蚊遣りとし、香のかおりの薄く消え行くのを見ては、算木として待つ人を占う簪を捨て、車座になって賽ころをまわし初める双六は、東海道五十三次の絵である。
手の内から投げ出す賽をと目配りしに壁によってまばたきして、大津絵の振出から、遣手が槍をもってまず先払いと投げ出す。
座敷踊りの中入りに、仲居の運ぶ重箱は姥が餅かと口々に言う。
阪は照る照る鈴鹿の茶屋に、花のような可憐な女中を忘れて来たが、後で花が咲くやら開くやら気にかかる。
宵の土山に雨が降るのかと見えるので曇る日差しに迎い駕を雇い。
人の見る目の関所に門を立て、その門に立った赤前垂の女中は赤い夕照りに、こちらへお出でと岡崎女郎衆の手を引いて、泊りの宿をとれば、やがて眠る禿の浪枕になる。
ほんの七里も乗らない曳船に、縁の綱手にかなしむ辛い思いがおこる。
ひと間にこもる箏の音の岡崎女郎衆は可愛い女郎衆、その女郎からやがては吾妻となり、吾妻路に夜を明かす。
赤坂の後朝にかざす扇の裏なる抜け道を見つけて行くに見付所を越すときの恐ろしさ。
評判に聞いていた大井川、その岸の柳は寝乱れのようにゆれて、ここは島田の宿場であるか、それならば積る雪の日は真白い不二に雲助がふらふらと歩き。
格子の外でのごろねに夢は三島や箱根山と、上り下りする恋の阪である。
飛脚の持った女の仮名文の神奈川や、知人からの土産としては江戸紫なる江戸へと賽ころは進んで上る。
補足 三下り端唄。 京から江戸に向かって、東海道五十三次の名所を双六で遊んでいることに擬してつづったもの。
端唄というよりはむしろ浄瑠璃物に近いスタイルで、伊勢音頭の形式による。
近松門左衛門の『丹波与作待夜小室節』の『道中双六』のくだりに基づいたものかといわれ、語句や地名など一致する点が多い。
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