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[アズサ]

ジャンル 地唄・箏曲
端唄物
作曲者 不詳 箏手付け:河原崎検校
作詞 不詳
調弦 三絃: 三下り
箏: 低平調子
  三つの車に、のりの道、夕顔の宿の破車やれくるま
  あら恥しや我が姿、梓の弓の末弭うらはずに、
  顕れ出でし面影の、昔忘れぬとりなりを、
  われわれあれを見や、蝶は菜種に菜種は蝶の、
  つがい離れぬ妹背の仲を、見るにねたまし又羨し。
  我は磯辺の友なし千鳥。わくらはに、わくらはに、
  問ふはうれしやさりとては、とはれて今ははづかしの、
  もりて浮名のたつか弓、さいた白羽の矢はだて姿、
  人の目につくいたづら髪の、なんぼいはれし仲なれど、
  今は秋田の落し水、さつき雨ほど、恋ひしのばれて、
  なほなほ尽きぬ恨ぞや、共に奈落の苦しみ見せんと、
  彼方あなたへ引けば此方こなたへ引く。行きては帰り、帰りては。
  あら、名残惜しや。恋は曲者いろいろの、
  花や紅葉に移り気の男はいやよ。
  さりとては、ほんに辛苦もいとはぬ、悪性あくしょう
  底の心は水臭い。流の私が辛抱を、思うて見さんせ、
  あた胴慾な。いやとよ、それは虚言よ。
  袖の時雨は誠の血潮、染めし誓も偽ならず、
  二人かはせし契も今は、あだになりゆく妬のほどを、
  思ひ知らずや思ひ知れと、鉄杖てつじょう振り上げ丁々々、
  打つや現の手にも取られず、露か蛍か、ちらちらちら。
  児手柏手このてかしわてに結びし水も、笹の葉に、
  又立ち寄るを幣おつ取って、謹請東方。
  南方、北方、西方、おのおの守りの冥部の神仏ましませば、
  怨霊何処に止まるべきと。
  祈り祷られかっぱとまろぶと見えけるが、
  今より後は来たるまじと、呼ばはる声は雲に響き、
  いふ声ばかりは雲に残って、姿は見えずなりにけり。
  此の暁に空吹く風。この暁に空吹く風。
  夜は白々と明けにけり。夜はほのぼのと明けにけり。
訳詞 仏典に牛車、羊車、鹿車の三車に乗って火事の難を逃れたように、仏法の方便で衆生が救われるとある。夕顔の宿の破れ車の進ませる方のないことは悲しいことである。ああ恥しい私の姿、梓弓の弭の末に、現れ出た面影は昔忘れない姿を現しているよ。あれあれあれを見なさい。蝶は菜種に、菜種は蝶に二人離れない恋の仲を、見るに妬ましいし又羨ましい。
自分は磯辺の友のない千鳥よ。偶然に訪ねてくっることは悦しいことだが、訪ねてみると、今は恥しいその大和の羽束師森のように、濡れて、浮名の手に持つ弓に、つがえた白羽の矢はいきな姿、人目につくいたずら髪の、どれ程注意されてもきき入れない仲であるが、今は秋田の落し水のように、倦きられ、投げ出され五月雨ほど涙を流して恋い慕い、人目に知られないようにしのぶことは尽きない恨みであるよ。ともに地獄の苦しみを味わせてやろうと、彼方へ引けばこちらへ引く、行っては帰り帰っては行く、ああ名残り惜しいことであるよ。恋は一癖あるもの、いろいろの花や紅葉に心を移す男は嫌いであるよ。
それにしてもほんとに苦しみは避けないいたずらのものよ。底の心はよそよそしい。流れの我が身辛抱して御覧なさい。何とむごいことであるよ。嫌だ嫌だはそれは偽りよ。袖の涙は本当の血潮、その地で染めた血判の起証誓紙も偽りでなく、二人で取り交わした契りも今は仇になっていく、妬みの程はどれくらいと思うのだ。覚悟は良いか、覚悟しなさいと、鉄の撞木杖を振り上げて、ちょうちょうと打つ、その詞通り現の手にも取られず、露の光か、蛍の光かちらちらちらと、子供の手を合わせて汲み取った水を笹の葉にかけ、また立ち寄ってくるのを御幣をとりもって、祈祷をし「謹淨東方、南方、北方、西方各々守り冥部の神仏」と称えると、怨霊はどこに止まってよいかと祷り祈られカッパと転ぶようであったが、今後は再び来ることはしないと呼ばわった声は、高く空にも響き叫んだ声は雲に残って、姿は見えなくなってしまった。
この暁に空吹く風、この暁に空吹く風と共に姿は吹き消され、夜は白々と明けていった。夜はほのぼのと明けていった。
補足 三下り端唄。
謡曲「葵上」を原拠としつつ、全体を遊女の世界に置き換えた内容。
いわゆる怨霊曲といわれる。
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