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三九年川
[ミクネガワ]

ジャンル 地唄・箏曲
山田流
作曲者 四世山木千賀・初代町田杉勢
作詞 平岡(吟舟?)
調弦 箏:半雲井調子-四上り平調子-曙調子の変形
三絃:本調子-二上り-高三下り(一上り)
  [前弾]

  咲きつづく花は浮世のともしびと、分け行く道も知る人ぞ、
  知るや知らずや三九年川みくねがは、ながれ渡に柴舟しばふねの、
  春をむかへし松飾まつかざり艪櫂ろかいの音もたひらかに、
  治まる御代みよ初日はつひ、水に影さすくれなゐの、
  色は岸辺きしべの紅梅に、さそはれてなく鶯の、
  声にいつしか民草たみくさも、うかれて共に君万歳を、
  うたふ心ぞたのしき、野辺に五色の花さけば、
  山に緑の葉をならべ、天つ少女をとめの羽衣を、
  ここにうつすやうつせみの、
  せはしきなくねサツサツと、松の葉風にまぎれくる、
  細谷川ほそたにがはの夕景色、苔むす岩に白波の、
  パツと立ちたる水けむり、見えつかくれつ影くらき、
  草の根に住む蛍の蟲は、こいよこいよと飛びまよふ、
  あらおもしろのありさまやな、

  [合の手]

  さやけき秋の月影は、尾花が上にうつろひて、
  露の玉だれかかる身の、おもひをのぶる夜もすがら、
  草に宿かる虫の声、神をいさめの鈴虫に、
  暮をまつとや松虫の、なくねもいとどきりぎりす、
  あはれ霜夜のさびしさに、ちやうちやうはたと砧打つ、
  賤がうみその夜のわざ小川をがはにさらすきぬぎぬは、
  とけつむすびつむすびつとけつ、
  水のまにまにまかせけり、

  [合の手]

  あしたゆふべも過ぎ行きてはや初冬はつふゆ神無月かんなづき
  つくやゐの子のもち花も、小春の名にや匂ふらむ、
  そのうつり香もさめやらぬ、花のふぶきはどこへら、
  峯の木枯こがらしさらさらと、

  [合の手]

  のきばに落つる雪の空、雪や霰やこんこんと、
  口に手をあてわらんべの、また来る春を待ちかねて、
  きようありげなるたはむれは、にありがたき御代なれや、
  御代なれや、四海波風をさまりて、
  君のよはひは千代八千代、万万歳の後までも、
  栄え久しき三九年川、つきせぬ名こそめでたけれ。
訳詞 咲き続く花は浮世の灯火として、その明かりによって分けて行く道も知る人は知るのであるが、知るかしらないかあの三九年川を。
川の流れを渡る柴舟は新春を迎えて松飾をつけている。
艪櫂の音も平らかに治まる御代の初日の出は水に光を映して紅色に輝き、やがてその色は岸辺の紅梅の花となる。
花に誘われてなく鶯の声に、いつの間にやら国民も浮かれて共に君の万歳をうたうがその心は楽しい。
野原に五色の花が咲くと、山に緑の葉が並べられることになる。
天女の羽衣をここに移すと空蝉の翅となり、忙しく鳴く蝉の音は風の音のようにサッサッと吹く松風の音に紛れて聞える。
細谷川の夕景色は苔の生えた岩に白波がパッと水煙を立て、その水煙に見えたり隠れたりして、影暗い草の根に住んだ蛍の蟲はこちらにこい、こちらに来いと童謡にうたうように飛んで迷うのである。
ああ面白い有様であるよ。
さやかな秋の月光は尾花の上に映じて薄くなり、露の玉なる簾のかかった身の思いを述べる、夜通し草に宿かる虫の声である。
神をなぐさめる鈴虫に暮を待つと鳴く松虫の鳴く音は虫の名のきりぎりすと聞える。
ああ霜夜の淋しさにちょうちょうはたと砧を打つのは賤の績んだ麻糸を縒る夜お仕事である。
小川にさらした衣は男女の逢った翌朝の別れのように解けたり結んだり、結んだり解けたりして水の流れにまかせて流れるのである。
朝夕が過ぎて行き早くも初冬の陰暦十月ゐの子の餅をついて祝う。
この餅花も小春の名として匂うであろう。
その移り香が消えないうちに花吹雪はどこへやら飛んで、峯の木枯しがさらさら吹いて、軒端に落ちる雪の空となる。
雪や霰やこんこんとわらべ歌を歌い、口に手をあてて子供たちがまた来る春を待ちかねて、面白そうに戯れをするのを見ると、本当に有難い御代であるよ。
四海の波風は治まって君の齢は千代八千代であり、万万歳の後までも栄えることの久しい三九年川であり、永久に尽きない名は結構なことであるよ。
補足 山田流箏曲。奥歌曲。 1906(明治39)年の勅題「新年の川」にちなんだ曲題。 「三九年川」の四季折々の叙景を連ねて、川の弥栄を寿ぐ心にことよせて、御代の永く栄えることを願い祝した内容。
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