ジャンル |
地唄・箏曲 山田流 |
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作曲者 | 山登検校 |
調弦 |
箏:雲井調子 三絃:三下り |
唄 |
小松原、末のよはひにひかれてや、 君がためとて野の朝戸出に、年もわかなの六十一、 つむてふ春ぞかぎりなき、朱雀の御賀にならうたる、 万歳楽や賀皇恩、けしきばかりや舞の袖、 ためしすくなきみあそびに、おのおの心いれたまふ、 まづそのえての人々に、琵琶は蛍の兵部卿、 たれにこがるる名のゆかり、光る君には琴のこと、 おとどは例のやまとごと、上手をつくしたまへばぞ、 いと優にこそ聞ゆなれ、その十二律十三の、 糸の調べに合の手の、六段、九段人目の関越ゆる屏風の雀がた、 すずめ色時しのぶ夜を、君が手ごとにかけられて、 曲も雲井の翠帳に、心の表裏なくも、 あかしや須磨のうらみわび、人づてならでその中を、 渡せし橋の長枕、はやかささぎに急がれて、 別れ車の波がへし、かへる直衣の袖たもと、 わりなきなかの割り爪や、みだれ乱るるまごころを、 しろしめさせたまはれと、後の朝のもしほぐさ、 かいてまゐらせさふらふかしく、 千とせの松のみどりごに、かへる暦の女文字、 とるなるひらく吉日や、なほ末広のことぶきを、 つきせぬ春と祝しけり、つきせぬ春と祝しけり。 |
訳詞 |
小松の生えた原に末の長い齢をもった子供に引かれて君の為にと野の朝外出に若菜のように若い年に変えるという六十一歳を祝って摘むという春である。 源氏物語では朱雀院が四十歳の賀を祝ったのにならって、源氏も四十の賀に万歳楽や賀皇恩と曲は少しばかりの舞の袖であるが、例のない美しい管弦に各々真剣に技を演ぜられた。 まず得意の人々の中で、琵琶は蛍の兵部卿がひかれ、誰に思いをこがして光る蛍か、名にゆかりのある光る源氏は琴のことを弾かれ、太政大臣は倭琴をと、それぞれこの上なく上手に奏されたので大変優美に聞えた。 楽の十二律に箏の十三絃の糸の調べが合った合の手の六段、九段の曲名の数多いほど人目の関が屏風と立っている。 その雀模様の屏風を越え、夕暮れ時人目を忍んで行く夜は君の手くだに乗せられて、宮中の女官の寝室で真実をあかしたのであるが、明石や須磨の浦ではないけれど、恨んで思いなやんでいるのである。 人手をわずらわさないで、二人の仲をとりもつ長枕でねたが、七夕の牽牛・織女の二つ星の橋を作る鵲に二人の別れをいそがれて、別れ車に乗せられて波がえしと帰される直衣の袖やたもとである。 分別のない仲を裂く割り爪に、乱れに乱れる私の真心を御推察下さいと別れた朝の思いを綴って記す文である。 千歳の寿命をもつ松の緑のみどり子に還る暦なる六十一歳の祝いを平仮名で記し、取る、成る、運が開くの吉日、それに末広がりの寿命で、永遠に変らない春の幸を重ねて祝うこの日である。 |
補足 |
山田流箏曲。 作曲者の初代山登検校の六十一歳の賀を祝ったもの。 『源氏物語』の『若菜』の巻から源氏の四十歳の賀からうたいおこし、検校の六十一歳の賀へと歌った歌。 前弾は『時鳥』と同じ手を用いる。 |