ジャンル |
地唄・箏曲 山田流 |
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作曲者 | 山登万和 |
作詞 | 中田新之丞 |
調弦 |
箏:雲井調子 三絃:三下り-本調子 |
唄 |
もえいづるも、枯るるもおなじさがの野の、 千草の花のいろいろに、錦おりなす花模様、 翠帳紅閏の寵愛に、風をいとひし露の身も、 あだし嵐にふきはらはれて、今は野末にはらからが、 葛のうら葉の恨をも、たがひに思ひきりぎりす、 草の葉袖もかきあはぬ、麻の衣にぬぎかへて、 仏ももとは凡夫なり、われも昔は仏なり、 いづれも成仏とぐる身と、さとるこころのあかねゐの、 きよき流をくみてこそ人もしれ、仏御前はおのが名の、 ほとけてふ名も今さらに、そぞろに思ひしられつつ、 世のはかなさを今までも、知らですごししおろかさを、 思ひかへせばいとどなほ、あらはづかしのわがこころ、 あらはづかしのわが姿、さとれば栄華も一夜の夢。 いづれか秋をのがれむと、人めのせきを忍び出でて、 見ればうれしやをちこちに、われを招くかしをりして、 尾花かるかやつがねがみ、払へば今は法の道、 あふぐ高根も鷲の山、真如の月もすみわたる、 千すぢのみちをひとすぢに、露ふみわけてたづね行く、 こころのうちこそあはれなれ。 |
訳詞 |
新芽が吹いて勢い良く出現するのも、枯れて勢いなく消えるのも同じ嵯峨野に生える秋の千草の花で、この花によって色々な錦を織り成し、花模様を作る。その模様の翠帳紅閏の中の御寵愛に吹く風をきらった露のような儚い身も、無情な嵐に吹き払われて、今は野末に姉妹は白い裏葉をみせる恨みを互いに思い、この世を思い切って、草の葉のような袖を合わせて敬意を表すなどは成し得ず、僧侶の麻衣に俗衣をぬぎかえた。 仏もはじめは並の人であり、私もやがては仏に成り得る。誰も仏に成り得る身と悟る心を持った。あかの水の井戸の清らかな流れを汲んで、はじめて仏の道がわかる。 仏御前は自分の名についた仏という名も今更漫然と知るようになった。世の無常を今までに過ごしていった馬鹿さ加減を思えば本当に恥しい我が心であるよ、我が姿であるよ。 悟れば栄華は一夜の夢である。誰か衰える秋を逃れることが出来よう。他人の見る目の関所を隠れて出て見れば嬉しいことよ、自分を招くように案内して、靡く尾花かるかやのつがねがみのけがれをあちこちと払えば仏法の道が見え、仰ぐ高根は鷲の山、真如の月の光も冴え渡り、千筋の道を一筋に思って露をふみわけて訪ね行く心の中はあわれであることよ。 |
補足 |
山田流箏曲。奥歌曲。 『平家物語』巻一『祇王』の物語に拠り、仏御前の出現によって祇王が清盛の寵愛を失って嵯峨野に隠棲するくだり以下、世の中の儚さを悟った仏御前が祇王を訪ね、ともに尼となるに至るまでを、嵯峨野の秋の情景を交えながら歌ったもの。 |