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虫の音
[ムシノネ]

ジャンル 地唄・箏曲
手事物
作曲者 藤尾勾当
作詞 不詳
調弦 三絃: 三下り
箏: 低平調子
  思ひにや、焦れてすだく蟲の声々さ夜更けて、
  いとど淋しき野菊にひとり、道は白菊たどりて此処に、

  [合の手]

  誰をまつ蟲亡き面影を、慕ふ心の穂にあらはれて、
  萩よ薄よ寝乱れ髪の、解けてこぼるる涙の露の、

  [合の手]

  かかる思ひをいつさて忘りよ、

  [合の手]

  兎角輪廻の拙きこの身、晴るる間もなき胸の闇、

  [合の手]

  雨の

  [合の手]

  降る夜も降らぬ夜も、通ひ車の夜母に来れど、

  [合の手]

  逢ふて戻れば一夜が千夜、

  [合の手]

  それそれ、それじやまことに、

  [合の手]

  ほんに浮世がままらなば、何を怨みんよしなし言よ、

  [合の手]

  桔梗、刈萱、女郎花。
  我も恋路に名は立ちながら、一人まろ寝の長き夜を、

  [合の手][手事]

  面白や、千草にすだく蟲の音の、
  機織る音のきりはたりてふ、
  きりはたりてふ、つづれさせてふ、きりぎりす、
  ひぐらし、いろいろの色音の中に、
  分きて我が忍ぶ松蟲の声、りんりんりんりんとして、
  夜の声めいめいたり。

  [合の手]

  すはや難波の鐘も明け方の、朝間にも成りぬべし、
  さらばや友人名残の袖を、
  招く尾花もほのかに見えし跡たえて、
  草茫々たる阿倍野の塚に、蟲の音ばかりや残るらん、
  蟲の音ばかりや残るらん。
訳詞 恋しく思うためか焦がれて集り鳴く虫の声々である。
夜更けて淋しい野菊の咲く野原に一人、白菊のある道は知らないが、たどってここに誰の来るのを待つか松虫は死んだ友の面影を慕う気持ちが外に現れて、萩やススキの穂が乱れ髪と乱れるのである。
その髪が解けて零れる涙の露が降りかかり、こうした思いを何時になったら忘れられようか。忘れられない。
めぐり合わせの悪い我が身ははれる間がなく胸は闇と暗く、雨の降る夜も降らない夜も訪ね来る車は毎夜来るが、逢って戻れば一夜が千夜に思われ、逢わないで戻ればまた更に千夜の思いがする。
これが本当の浮世なのだ。
浮世がもしも思い通りになるならば、何か怨むことがあろうか、つまらない愚痴も聞くことはなかろう。
桔梗・刈萱・女郎花と自分は恋路にうわさされながら、一人でまろ寝をすれば、秋の夜長に千草に集った蟲の音の機を織る音がきりはたりと聞こえ、破れを綴って刺しなさいと鳴いているのである。
ひぐらし・こおろぎといろいろの蟲の音色の中で、とりわけ自分の愛する松虫の声がりんりんりんりんと鳴いて、その夜の声は爽やかにはっきり聞える。
さては難波の鐘が聞えるとなれば、明け方の朝になったのであろう。
それであるから、友人の名残りの袖を招く尾花によって、仄かに見えた亡霊の姿が消えうせてしまい、あとはただ草茫々とした阿倍野の塚ばかりで虫の音ばかりが残るのである。
補足 三下り謡物。手事物。『虫づくし』『松虫』とも。
虫の音すだく秋の夜半に、亡き人を慕う空閨の悲しみを歌ったもの。
後歌は謡曲『松虫』のキリの部分の詞章による。
手事は擬音的手法に富み、砧地が合わされる。長歌『秋色種』の「虫の合方」に取り入れられることでも有名。
市浦検校作曲の中空調子の手を合わせるときは特に『中空虫の音』とも称する。
京都の手は浦崎検校門下の吉崎検校作曲。
抱一上人筆『吾妻唄』に収録されており、早い時期から山田流でも行なわれた。
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