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嵯峨の春
[サガノハル]

ジャンル 地唄・箏曲
手事物
作曲者 松浦検校 箏手付け:浦崎検校
作詞 不詳 謡曲「放下僧」より
調弦 箏:雲井調子
三絃:本調子 - 三下り - 本調子
一 去年こぞ見にし、弥生なかばの嵯峨の春。嵐の山の山桜、
  色香妙なる花の宴。散り手も残る心の花に、
  思ひ乱るる憂身にも、また繰り返へすこの春も。

二 汲むや泉の大堰川、浮ぶ筏の行く末は、
  人の手活けとなる花を、恨むやおのが迷ひをば、
  拂ふは法の御誓ひ。

三 嵯峨の寺々、廻らば廻はれ。水車の輪の臨川堰りんせんぜきの川波、
  川柳は水に揉まるる、ふくら雀は竹に揉まるる、
  都の牛は車に揉まるる、茶臼は挽木ひきぎに揉まるる、
  われは色香に揉まれ揉まれて玉の緒も、
  絶えぬばかりに思ひ川。床に渕なす夜半のきぬぎぬ。
訳詞 1.去年の三月の半ば頃、嵯峨の里に春の景色を眺め、嵐山で山桜をめでて花見の宴が催された折のうるわしい一人の女性は、花の妙なる色香よりもさらに美しく見えた。花が散ってもその印象が残るように、その女性の面影が強く心のうちに残って、それ以来絶えず思い悩み、片思いゆえの憂い辛い日々の我が身にも、また今年の春が巡ってきた。

2.この春も去年の女性に逢われるかもと、淡い希望を抱いて大堰川に来て見たが、あの女性の姿はなかった。人生の行路は川に浮んでいる筏のように常に止まってはいない。あの女性は今頃他の男に嫁して人妻となっているかもしれないと思うと、恨めしく心は千々に乱れるが、このような自分の迷いを払うのは、仏道を修行せよと仏は仰せられたので、嵯峨の寺々を廻ってみることにした。

3.水車の輪の臨川堰の川波、川柳は水にもまれる、ふくら雀は竹にもまれる、都の牛は車にもまれる、茶臼は挽木にもまれる。自分は一人の女性の色香にもまれもまれて、命の絶えぬばかりの思いが、川のように深く水の流れのように絶えない。流れる涙で床は渕のように濡れて夜半の衣々は乾くひまもない。
補足 本調子手事物。京風手事物。謡曲物。
「増補大成糸のしらべ」に初出。嵯峨野の春景色を歌っている。
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