ジャンル |
地唄・箏曲 山田流 |
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作曲者 | 山田検校 |
作詞 | 不詳 |
調弦 |
箏:雲井調子 三絃:三下り |
唄 |
春すぎて、今ぞはじめの夏ごろも、 かろき袂が浦風に、級長戸の追風そよそよと、 福寿円満限りなき、誓ひの海のそれならで、 干潟となればいとやすく、あゆみをはこぶ江の島は、 絵にもおよばぬ眺めかな。 水は山の影をふくみ、山は水の心にまかす。 神仙の岩屋、名に聞えたる蓬莱洞、 そばたつ岩根峨々として、随縁真如の浪の声、 心もすめる折からに、海人の子供のうちむれて、 磯馴小唄も貝づくし。 君が姿を見染めてそめて、ひく袖貝をふりはらふ、 恋は鮑のかた思ひ、仇しあだ波さくら貝、 梅の花貝その身は粋な、粋な酢貝は男の心、 こちは姫貝一筋な、女心はさうぢゃないわいな、 いつか逢ふ瀬の床ぶしに、逢ふて離れぬ蛤の、 その月日貝、まて貝と、いふを頼みの妹背貝、 唄ふ一ふし恋の海。 かの深沢の悪龍も、妙なる天女の神徳に、 たちまち一念発起して、ながく誓ひを龍の口、 昔のあとをとどめける。 いく千代も、つきせじ盡じ、この島の、 いそ山松を吹く風、岩根によする波までも、 さながら和風楽、青海波を奏すなり。 ことわりなれや名にしおふ、妙音菩薩の調べの糸、 ながく伝へて富貴自在、寿命長久繁栄を、 まもらせ給ふ御神の、広き恵ぞありがたき、 広き恵みぞありがたき。 |
訳詞 |
春が過ぎ、夏が来て、今年初めて着る夏の着物の軽い袂に、海の追手の風がそよそよと吹く。仏が衆生を救おうと福寿円満の限りない誓願の、広大さにも似た海も、潮が引いたあとにもなれば、渚をたやすく歩んで行ける江の島は、絵も及ばないほどの美しい眺めである。水は山の影を映し、山は水の心に任せて映させる。神仏の岩根、有名な蓬莱洞、聳え立つ岩は険しく、神仏が姿を変えて人を救いくださるようにも比すべき浪の声に、心も澄み渡るところから、海人の子供たちが集って、磯に伝わっている歌を唄っているのを聞けば、貝尽くしである。 君の姿を見初めて袖を引けば、その引く袖貝を振り払う、恋は鮑の片思い。かりそめの恋、浮れた恋などを裂く桜貝。梅の花貝はその身は酸いが、同じすいでも粋な酢貝は男の心。しかしこちらは姫貝、乙女心の一筋に、粋なさばきは出来ようはずもない。いつか逢う瀬は床に臥せ、1度逢ったら離れない蛤の貝。楽しい日の来るのを指折り数える月日貝と、その日を待てというまて貝。夫婦という言葉を頼みの妹背貝。磯馴れ小唄を聞けば、海は恋の海だ。 かの深沢湖に住む悪龍も、すぐれた天女の神徳に、たちまち仏を信じる心を起こし、永く国土を守護することを誓い、竜の口明神として祭られることになった言う故事を、昔を今にとどめている。いく千年たっても尽きることのないこの島の、波打ち際に生い立つ山松を吹く風の音、岩の根元に打ち寄せる波の音までも、あたかも舞楽の和風楽や青海波を奏するように聞こえる。それも道理、有名な弁才天の奏でる調べの糸は、末の夜長く富貴は自在、寿命は長久、かつ繁栄の加護を垂れさせ給う御神の、広大な恵みはありがたい限りである。 |
補足 |
山田流箏曲。中七曲の一つ。 江島神社縁起に取材。前弾、江の島への参詣道行、江の島の情景を経て、弁財天とのかかわりから辰口明神の縁起譚を述べ、島の松風の音を雅楽に聞きなして「楽」となり、最後に弁才天の神徳をたたえて結ぶ。江の島の情景部分に細かく歌い分けて節を聞かせる砕けた内容の「貝尽し」が入る。「貝尽し」は長唄の『相模蜑』に取り入れられた。 |