ジャンル |
地唄・箏曲 端唄物 |
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作曲者 | 松浦検校 |
調弦 | 三絃:本調子-二上り |
唄 |
その昔、竜田の川の紅葉葉を、錦と叡覧ましませば、 吉野の山の桜をば、雲かとおぼえ久方の、 天地分かぬ国つふみ、中に六種の言の葉や、 [合の手] 先づ遍昭のさま見れば、げに絵にかける女を見て、 [合の手] こころ動かす浅みどり、糸よりかけて白露の、 玉にもぬける青柳の、靡きなびくや業平は、 心あまりて言の葉は、ほんにほんに言葉は萎める花に、 匂ひ残りておほかたは、月をも愛でじこれぞこの、 つもれば老の康秀の、言葉は身にもおはずとて、 心をいはば商人の、良き衣すずし吹くからに、 秋の草木の萎るれば、むべ山風に散る木の葉、 [合の手] 掻きしく庭の苔衣、喜撰は言葉かすかにて、 月を見るにも暁は、 [合の手] その雲井より我が庵は、辰巳に鹿ぞ住み馴れし、 世を宇治山の花よりも、まさる色香の五つ衣。 それは小町よ袖古りし、衣通姫のながれとて。 [合の手] つよからぬ女心か、侘ぬれば、 身を浮き草の根を絶えて、誘ふ水あらば、 汲みてぞしるき黒主は、 [合の手] 薪を負へる杣人の、花の蔭にも鏡山、 [合の手] いざ立よりて見て行かん。 曇らぬ儘に敷島の、道に妙なるまれ人。 |
訳詞 |
その昔、竜田の川の紅葉葉を錦と主上が越覧なさいますと吉野山の桜の方は雲とお感じなされた。 古典国学者の中で、六種各自特徴ある和歌をうたった人がある。 そこで、その中で先ず遍昭の歌格をみることにする。 本当に絵にかいた女を見て心を動かすような浅い心で。 その歌は次のようなのがる。 「浅みどり糸よりかけて白露の玉にもぬける青柳」 とうたったのがある。 青柳の靡くような女性に靡くことの多い業平の歌格は心が余って言葉が負けて、萎んだ花に匂いが残った思いがする。 その歌には、 「大かたは月をも愛でじこれぞこの積れば老の」 とうたっている。 年老いた康秀の歌格は言葉の方が勝って、身は相応しないきらいがあり、いわば、心は卑しい商人に綺麗な衣を涼しくまとったような姿である。 その歌には、 「吹くからに秋の草木の萎るればむべ山風を」 とうたっている。 その山風に散る木の葉を掻き集めて、庭の苔の上に敷く、その苔の衣なる僧衣をまとった喜撰法師の歌格は、言葉がかすかではっきりせず、月をみるにあたって丁度暁の雲がかかったようである。 その歌には、我が庵は都の辰巳にしかぞ住みなれているのを世人は憂い世という名の宇治山というとうたった歌がある。 その宇治山の花よりも優れた色香のある五つ衣を着た小町がある。 袖の古くなった衣ではないが、衣通姫の流れを汲んだ女性であるにより、優しい女心を歌にうたってか 「侘びぬれば身を浮き草の根を絶えて誘ふ水あらば」 とうたっている。 水を汲んでみれば、はっきりわかる黒主の歌格は心おもしろけれど、そのさまは卑しく薪を負った木こりが花の蔭に休んだようだと古今和歌集の序にある。 また古今集の歌に 「鏡山いざ立ち寄りて見に行かん」 と、うたっているように曇らない鏡として、和歌の道に優れた稀に見る六人の歌人どもであるよ。 |
補足 |
本調子端歌物。 1812年『増補大成糸のしらべ』に初出。 『古今和歌集』仮名序を引きつつ六歌仙の歌の姿を歌う。 |