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紀の路の奥四季の段
[キノジノオクシキノダン]

ジャンル 地唄・箏曲
山田流
作曲者 山田検校
作詞 不詳
調弦 三絃: 三下り
箏: 雲井調子
  山寺の 春の夕暮 来て見れば 入相いりあいの鐘に 花ぞ散りける。
  散ればこそ いとど桜は めでたけれ、

  よしや散らでもあだし世と、花によそへし口ずさみ、
  それを手本に鶯が、歌をうたへば琴ひく鳥も、
  声にあはせてつづみ草、手をつくづくし、つぼすみれ、
  つつじ、山吹、いろいろの、花もいつしか夏山の、
  青葉をわけて、初音めづらし時鳥ほととぎす、雲井のよそに恋慕ふ、
  身は卯の花のしらむまで、寝ずに待つのをなぶりに来るか、
  まきの板戸をほとほとと、叩く水鶏くいなのだましくさつたか、
  ええしんぞつら憎や、にくい、可愛の睦言むつごとを、
  誰に洩して名はたち花の、かをりほのめく薄衣、
  袂すずしき秋風に、招くすすきは若紫の、
  萩にそふとてこぼるる露の、露のよすがを忍びね、
  松虫、鈴虫、きりぎりす、きりはたりてふ桐の間を、
  分け越え来つる初雁の、つばさにかけて送る文、
  見よかし見よかしもみぢ葉も、色の最中もなか時雨しぐれにぬれて、
  竜田の川に流れの身、恋ぢやせくまい浮世の車、
  めぐる月日も、ふるや、ふる降る、雪も、霜も、霰も、
  消えてたまられぬ、諸行無常しよぎようむじようのことわりを、告げてや、
  鐘もひびくらむ。
訳詞 「山寺の 春の夕暮 来て見れば、入相の鐘に 花ぞ散りける 散ればこそ いとど桜は めでたけれ」と古人は詠んだ。 たとえ散らなくても無常な世を、花にかけて人の世を歌っているのである。 人がこのようにうたうと、それを手本に鶯が歌えば、琴弾き鳥も声をあわせ、鼓草がそれにあわせて鼓を打つ。 つくしんぼうや壷スミレ、つつじ、山吹などいろいろの花が咲き乱れる、花の季節もいつの間にか過ぎて、青葉を分けてホトトギスの珍しい初音を聞きたいものと、遥かに隔てた空を恋い慕い、夜が白むまで寝ずに待っているものを、水鶏が槇の板戸をほとほとと叩くように鳴く。 こやつ、よくもだましたな。 ええこの新造憎いことだが、憎い、可愛いのねやの睦言を、誰にしゃべって洩らしたのか。 その噂は橘の香りのようにほのかに世間に立っている。 薄い着物の袂を涼しく吹く秋風に、ススキの穂が人を招くように揺れて、若紫の萩の花に添うてこぼれる露の玉の、露の縁の忍び音の松虫や鈴虫。 こおろぎが鳴く声は、きりはたりと聞こえる。 その音を分け越えてきた初雁の、つばさにかける雁の便りには、今を盛りの紅葉を御覧なさいと書いてやる。 時雨に濡れて、竜田川に流れたこの身の、恋は堰き止められないが、さりとて急ぐこともない、どうせままならぬ浮世だもの。 月日はめぐる車のように時は過ぎてゆく。 降る雪も霜も霰も消えて溜まってはいない。 諸行無常の理を、寺の鐘の響がそれを告げているのであろう。
補足 山田流箏曲。中七曲の一つ。
「紀の路の奥」は角書。単に「四季の段」ともいう。
熊野詣の参詣道行を主題として、道中の情景描写に種々の古歌を読み込み、四季の推移を表現した参詣道行物。
最後の方の「流れの身・・・」の後の合の手に『ほととぎす』の前弾の旋律を応用。
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