ジャンル |
地唄・箏曲 その他 |
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作曲者 | 藤尾勾当 |
調弦 |
三絃: 三下り 箏: 平調子 |
唄 |
思ひぞ積る胸の花、涙に絞る藤葛、 女心の乱れ髪、結ひかひなくも恋衣の、 その移り香をきぬぎぬの、形見と今は鳥兜。 重き思ひを頂きて、狂ひ出づるぞ。 果敢なく消えし草葉の露と、 [合の手] 残るこの身を如何にせん。 恋しや、ゆかしや、いとしやと、 或は嘆き、笑ひつつ、 恋し心がきやうきやうきやう狂気となつてうつつなく。 [合の手] 太鼓こそ、太鼓こそ、失せにし人の敵なれ、 思へば思へば腹立ちや。 後に叫ぶ夫の声、前には敵の閧の声、 打てや打てやと攻め鼓。 [合の手] 越天楽を舞ふよ。 [合の手] うたへやうたへ梅が枝に、風吹かば如何にせん。 花に宿る鶯。 [手事] 持ちたる撥をば剣と定め。持ちたる撥をば剣と定め。 真意の焔は、太鼓の烽火の、天に挙がれば雲の上人。 真の富士颪に絶えずもまれて裾野の桜。 四方へぽつと散るかと見えて、 花衣差す手も引く手も伶人の舞なれや。 [合の手] 富士が恨みも諸共に、跳り上つて丁と打つ。 [合の手] 嬉しや今こそは思ふ敵を打ち納む。 うたれて音をや出すらん。 [合の手] げにや女人の罪深く、五常楽を打たうよ。 さてまた千代や万代と、千秋楽を打たうよ。 民も栄えて安穏に、泰平楽を舞ふよ。 [合の手] 日も既に傾きぬ。日も既に傾きぬ。 これまでなりや人々よ、伶人の姿鳥兜、 皆抜ぎ捨てて我が心。 乱れ笠、乱れ髪、かかる思ひは忘れじと、 又立ち返り、太鼓こそ、憂き人の形見ぞと、 後見置きてぞ帰りける。 |
訳詞 |
夫に逢いたい思いの積った胸の内、涙で絞る藤葛の蔓草、女心の乱れ髪を解いて結んでも甲斐がない恋であり、その恋衣の移り香をつけた衣のきぬぎぬ、きぬぎぬと言えば男女の一夜逢っての翌朝の別れの形見として今はなくなった夫の鳥兜、その重い思いを頂いて、狂い出た妻は情けない。 夫は儚く殺されて、草葉の露として残った我が身をいかにしよう。 夫が恋しく逢いたいと、或は嘆き、笑いながら恋しい心のために狂気となって現なく、打つ太鼓の名手こそは亡夫の敵である。 思えば憎らしい事であるよ。 後に叫ぶ夫の声、前に聞える敵の閧の声、敵を打てや打てと励ます攻め太鼓。 越天楽を舞う。 うたえやうたえ箏歌の梅が枝を。 梅が枝に風が吹けばどうしよう。花に宿った鶯。 とうたいつつ、持った撥を剣とし、いかりの焔は火焔太鼓の焔となって天に燃え上がり殿上人となり、本当の富士颪にもまれもまれて裾野の桜の花と四方へぱっと散るかと思われる。 花の舞衣をまとい、差す手、引く手も面白い伶人の舞であるよ。 夫の富士の恨みもこもって跳り上って丁と打つ。 嬉しいことよ、今こそ憎らしい敵を打ち殺した。 打たれて太鼓は音を出すことであろう。 本当に女は罪深い者。 五常の道の楽なる五常楽の太鼓を打とうよ。 さて、千代万代と千秋楽の太鼓を打とうよ。 民も栄えて安穏と泰平楽の舞をまおうよ。 日も既に傾いた舞楽はこれまでである。 伶人として夫の形見の鳥兜を身につけた。 衣裳のすべてを脱ぎ捨てて、我が心は乱れ笠を被った乱れ髪と乱れ。 こうした思いは忘れまいと、行きつ戻りつして、その太鼓こそは亡き夫の形見であると、振り返り振り返り見ては立ち去っていった。 |
補足 |
地歌。三下り謡物。手事物。 謡曲『富士太鼓』に基づき、富士の妻が狂乱の舞を舞う「思ひぞ積もる胸の花」以下の部分を取り入れたもの。 『琴線和歌の糸』に詞章が初出。 曲中に「越天楽を舞はうよ」の後に、『越天楽物語』の歌を含む。 |